「問題を起こさない緘黙児は放置されるか?」という記事に追記をしました。3歳で「かん黙」があった園児5名の内60%が5歳までに「かん黙」を克服したという研究です。日本の調査になります。
2022.02.15
私、マーキュリー2世は自己診断ですが、場面緘黙症経験者です。緘黙の影響もあってか、ろくな就職活動もせずに大学卒業から引きこもっていました。そんな私が2022年からUber Eats配達員として働き始めました。
そして、元場面緘黙症?の私がUber Eats配達パートナーとして登録するまでの苦労や登録後のお仕事の体験について書いた、新しいブログ『場面緘黙症経験者のUber Eats配達日記』を立ち上げました。
場面緘黙症経験者・当事者にこんな働き方もあるよというヒントになれば幸いです。
Uber Eats配達員のお仕事を始めてから、少しずつですが社会経験ができて、以前よりも社会性が身についたと感じています。今後は、Uber Eats配達員のお仕事を土台として、簡単なアルバイトができるようになればいいなと考えています。
Uber Eats配達員の業務を通して、簡単な面接ならいけるかもしれないと思い始めたところであり、これは私にとってすごい進歩です!なにせ、以前は面接と聞いただけで、無理ダ~とゲンナリしていましたので。
関連記事⇒緘黙人生
そして、元場面緘黙症?の私がUber Eats配達パートナーとして登録するまでの苦労や登録後のお仕事の体験について書いた、新しいブログ『場面緘黙症経験者のUber Eats配達日記』を立ち上げました。
場面緘黙症経験者・当事者にこんな働き方もあるよというヒントになれば幸いです。
Uber Eats配達員のお仕事を始めてから、少しずつですが社会経験ができて、以前よりも社会性が身についたと感じています。今後は、Uber Eats配達員のお仕事を土台として、簡単なアルバイトができるようになればいいなと考えています。
Uber Eats配達員の業務を通して、簡単な面接ならいけるかもしれないと思い始めたところであり、これは私にとってすごい進歩です!なにせ、以前は面接と聞いただけで、無理ダ~とゲンナリしていましたので。
関連記事⇒緘黙人生
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2014.06.13
下級生からいじめられた緘黙児を知っています。はい、私のことです。正確にいうと当時の私はいじめとは思っていなかったのですが、少し不愉快に感じていたのは事実です。文部科学省がいういじめの定義には「相手が深刻な苦痛を感じているもの」という要件があるので、厳密にいえばいじめではなかったかもしれませんが、緘黙児である私に色々と(悪い意味で)からんできたのは事実です。
*緘黙児がいじめや嫌がらせを受けたからといってその原因が緘黙とは限りません。もともと、いじめられる性質が備わっていた可能性もありますので。
以下、小学6年生のことです(記憶が不確かなので小学5年のことかもしれません)。ここでいういじめっ子?の下級生とは小学3、4年ぐらいの男子生徒のことです。彼は少し太り気味でした。
最初は「あ」と言ってみてという要求でした。1、2回目では「あ」攻撃に戸惑ったものですが、そんなものどこ吹く風で、すぐに気にしなくなりました。記憶が不確かですが、しだいに廊下などですれ違うと頻繁にからまれるようになり、面倒な下級生だと思っていました。
私にとって(あるいは下級生本人にとって?)事態が大きく動いたのはある下校途中の出来事でした。偶然にも下級生と一緒に帰宅するような展開になったのです。
*緘黙児がいじめや嫌がらせを受けたからといってその原因が緘黙とは限りません。もともと、いじめられる性質が備わっていた可能性もありますので。
以下、小学6年生のことです(記憶が不確かなので小学5年のことかもしれません)。ここでいういじめっ子?の下級生とは小学3、4年ぐらいの男子生徒のことです。彼は少し太り気味でした。
最初は「あ」と言ってみてという要求でした。1、2回目では「あ」攻撃に戸惑ったものですが、そんなものどこ吹く風で、すぐに気にしなくなりました。記憶が不確かですが、しだいに廊下などですれ違うと頻繁にからまれるようになり、面倒な下級生だと思っていました。
私にとって(あるいは下級生本人にとって?)事態が大きく動いたのはある下校途中の出来事でした。偶然にも下級生と一緒に帰宅するような展開になったのです。
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幼少~大学初年度までは、家の外でほとんどしゃべらず、緘黙時代を過ごしていました。といっても、今でも必要最低限のことしか話せず、雑談はできませんが。
一方、高校生の頃から、家でもある一部の人に対して緘黙するようになりました。現在も部分的な家での緘黙が継続中です。緘動が現れることさえあります。(こうなった理由は非常に複雑で込み入った家庭事情がありまして、この場で言及するのは避けたいと思います)。
大学生後半から家の外で、雑談はできないまでも必要最低限のことは話せるようになったことを鑑みれば、緘黙する場面が逆転したとでも言えるかもしれません。
一方、高校生の頃から、家でもある一部の人に対して緘黙するようになりました。現在も部分的な家での緘黙が継続中です。緘動が現れることさえあります。(こうなった理由は非常に複雑で込み入った家庭事情がありまして、この場で言及するのは避けたいと思います)。
大学生後半から家の外で、雑談はできないまでも必要最低限のことは話せるようになったことを鑑みれば、緘黙する場面が逆転したとでも言えるかもしれません。
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